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2020.05.07 Thursday

日めくり法語カレンダー 7日

人と生まれた

悲しみを知らないものは

人と生まれた

よろこびを知らない

【日めくり法語カレンダー6日】

 

日めくり法語カレンダーをめくるのは

私の仕事だったのですが

自閉症の息子が

何故か自主的に

朝起きるとカレンダーをめくって

一度きり

法語を読み上げてくれます

 

 人生における苦しみは如来の激励(はげまし)である

 

 無量無数の先祖が

 私の身のなかに

 こころのなかに

 生きている

 そして

 どうか助かってくれ

 そして

 私を助けてくれと

 みんな願っている

 

曽我先生のお言葉です

じっくりと

味あわせていただきます

2020.05.06 Wednesday

日めくり法語カレンダー 6日

一番あてにならぬのは

わが心です

【日めくり法語カレンダー6日】

 

喜べと言われても

縁がととのわんかったら喜べんし

悲しめと言われても

縁がととのわんかったら悲しめん

わが心

自分の心と力んでみても

どうもならんですもんね

どうにもならんのに

どうにかしようとする心も・・・

 

 

2020.05.05 Tuesday

日めくり法語カレンダー 5日

悩みがなくなることが

救いではない

共に悩めることが

救いです

【日めくり法語カレンダー5日】

 

毎日諸師のお言葉に触れさせていただいて

諸師のお言葉そのものにではなく

そのお言葉との出会いを通して

私の根性がみえてくるばかりです

 

「悩みがなくなることが救いではない」

と言われても

悩みさえなくなれば楽になると

他人を責めたり

自分を責めたり

責めたからってどうにもならんのはわかっているんだけど

止まらないです

とにかく

悩んでいることはしんどいし

しんどさの続くことが嫌なんですね

「共に悩めることが救いです」

と言われても

共に悩めるなんていう気持ちなんか

私には毛頭なし

いや

他の悩んでいる姿をみれば

私の心も苦しくなる

って反論したくなるけど

それって

他の悩んでいる姿をみて

自分が苦しいだけ

結局のところ

自分のことばっかり

ここに苦しんでいる人って

けっこう多いのかも

みんな苦しみ悩んでいるんやなぁ 南無阿弥陀仏

そこで終わればいいんですけど・・・

終わらないのもひっくるめて 南無阿弥陀仏

あっそうか

「共に悩みがなくなるのが救い」

ではなくて

「共に悩めることが救い」

と言われているんですよね

曽我先生が

「だいたい死ぬのが怖いなんていうのは

自分のことしか考えていないからです」

自分の思いの話をグダグダしてきましたけど

一刀両断ですね

2020.05.04 Monday

日めくり法語カレンダー 4日

人生には

無駄なことは

何一つありません

【日めくり法語カレンダー4日】

 

 煩悩を

 わがものとする卑下慢(ひげまん)に

 永(なが)くとどまり

 み仏を見ず

 

(金光)というお言葉があるんですが、卑下慢というのは高慢の反対ですね。

自分を卑下するのも慢のなかなんですが。

自分に煩悩があるからというのは、卑下慢、慢の中のことなんでございますか。

(藤原)そうですね、煩悩。

(金光)自分の煩悩があるから困るなんていうのは、それがある間は仏様の方を向いていないということなんですか。

「永くとどまりみ仏を見ず」というお歌なんですが。

(藤原)煩悩を私の煩悩とするからね。

仏の煩悩になったらなぁ、問題ない。

(金光)そこのところが。

何かしたいとか、あれが欲しいとか、やっぱり私のものじやないかと思うのが普通じゃないかと思いますが。

違うのですか。

(藤原)それが気になるか、ならんかでしょう。

引っかかるか、引っかからないか、同じように私やってますけどもね。

仏に遇うたんでしょうか、気になりませんもの。

(金光)そこのところが同じく煩悩を詠われた歌で。

 

 煩悩が

 仏のわざと知らされぬ

 余るいのちを

 いとしみ生きむ

 

(金光)「煩悩が 仏のわざと 知らされぬ 余るいのちを いとしみ生きむ」

そうすると煩悩が邪魔じゃなくなるわけですね。

(藤原)そうですね。

仏の煩悩になったらなぁ、煩悩は邪魔になりませんしね。

そうしたら、お出ましのままに歩かしてもらいましょうと。

こういう意味でしょうからね。

(金光)そこのところを、また異なった表現で。

 

 酔生夢死(すいせいむし)の

 ままでよろしき安けさを

 いただきにけり

 弥陀のみ恵

 

(藤原)酔生夢死ということで、中学時代でも、しっかり生きんならんとか、

眠ったような生活をしてはいかんということで教育されてきましたけども。

今は、寝ても起きても、全部それが「一如」一つにみえるようになったものですから、

頭が鈍かろうがよかろうが、私には関係ないのですよ。

亀は鈍(のろ)いというんだけども、あれは比較病で、如来の与えられた速度ですからな。

(金光)ウサギより確かに遅いけれども、それはそれで。

(藤原)ウサギが亀みたいになったら、また困りますよ。

ですから、このままがみんな自然法爾(じねんほうに)の世界だと見えるようになったんでしょう。

それだからこっちは楽になったんでしょう。

学問がある人も、ない人も、頭がいいとか、悪いとか、そういうところに今まで引っかかっておったけれども、

このまま生きられるようになった自分を楽しんでいるんでしょう。

(金光)苦しみみたいなものがなくなってしまうわけでもなく、困ることは出てまいりますでしょう。

それを困ったら、困ったままで。

(藤原)そうそう。

困った時は困ったのが真(まこと)ですね。

真という言葉を使えばね、みんなまことですわ。

 

平成8年11月10日 NHK教育テレビ「こころの時代」

『み運びのまま』 浄秀寺前住職 藤原正遠 ききて 金光寿郎 より抜粋

2020.05.03 Sunday

日めくり法語カレンダー 3日

これからが

これまでを決める

【日めくり法語カレンダー3日】

 

いまいましくて

打ち消してしまいたくなる

過去の人生も

これからが決まれば

そのままで意味を生む

と解釈してしまうと

何か

格調を失ってしまう気がして・・・

 

安らぎを

外に求めて

求め得ず

尚も求めて

求め得ず居る

 

甑島で

岩瀬暁燈さんからいただいたお言葉です

最初は

「君に暁烏先生の言葉を書いてあげる」と言われて

「安らぎを外に求めて求め得ず」と書かれたあとに

「内に求めて安らぎを得る」と書くはずが

「外に」と間違えて書いてしまわれたときに

曉燈さん曰く

間違えて書いてしまったわ

でもこっちのほうが暁烏先生のよりいいわ

と笑われながら

「外に求めて求め得ず居る」と

スルスルっと書き終えられて

これはいいとわと自画自賛‼

そして

繰り返し安らぎを外に求めていくんだけど

安らぎを得ることができないでいるんだなぁ〜

できないんだから

いい加減あきらめたらよさそうなもんだけど

相変わらず

外に求め続けている

それが人間なんだなぁと

満面の笑みで

ご教示くださいました

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